見える化の日本語としての違和感

見える化の言葉としての違和感 見える化
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業務の可視化や見える化について、最近話題になることも多いのではないでしょうか。

また、可視化はいいとして、特に見える化って言葉には、日本語として違和感を持つ方もいらっしゃるようです。

つらら
つらら

私も少し違和感を感じるんですが…

papio
papio

辞書で調べてみましょう

【化】か

( 名 )徳によって教え導くこと。教化。感化。

    自然が万物を育てる力。化育。造化。生滅転変の理。変化。変遷。

( 接尾 )主に漢語の名詞に付いて、そういう物、事、状態に変える、

    または変わるという意を表す。「映画―」「自由―」「液―」など。

三省堂 大辞林より引用

「可視」という漢語の名詞に「化」をつけて「可視化」は一般的な使い方みたいですが、

「見える」という動詞に「化」という接尾語を付けた「見える化」は一般的ではない使い方みたいです。 「見える化」に、日本語としての違和感を持つ原因がそこにあるのかもしれません。

しかし、日本語の表現としての違和感はあるとしても、現在では、見える化という言い方は普通に受け入れられているようです。

可視化という表現は堅苦しいイメージなので見える化という使い方をあえてしているのだと思います。

政府機関や地方自治体では、「見える化」といった名のついた改革プロジェクトが数多く実施されています。 目的によってその活動状況は様々で、見える化いろいろといった状況です。

政府は活躍って言葉が好きですが、それ以外に見える化ってことに取り組んでいるようです。

厚生労働省では「女性活躍の見える化」に取り組んでいます。

見える化というより、納得させるための見せる化に近いと思いますが、可視化との違いは問題点を少しでも具体的に解決する視点が欠けているように思えます。

単なる数字の集まりでは分析して結果はこうでした。ということになりかねません。

現状を少しでも改善するための実現可能なモデルを模索し、実施し、最終的に目指すあるべき姿へと近づけるということを是非進めて欲しいと思います。

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